キリンの絵

 

幼稚園の記憶で、今でも鮮明に覚えている出来事があります。

 

好きな動物の絵を描きましょう、という活動の時間で、当時キリンにハマっていた私は、迷わず「キリンを描こう」と思いました。しかし周りを見ると、牛かライオンの絵を描いている子たちばかり。何故その二択なのかも気になるところですが(牛を選んだ子が多かったのは、恐らく私たちの年が丑年だから)、当時の私は自分一人だけキリンを描く勇気は持ち合わせておらず、とはいえ、みんなに合わせて牛かライオンを描く協調性もありませんでした。

 

みんなが絵を完成に近付けていく中、一人だけ真っ白な画用紙のままで、どうしよう、と焦りながらも何も描くことができない。パニックに陥った私は、とうとう泣き出してしまいました。

 

それに気付いた先生が駆け寄ってきて、「どうしたの?」と尋ねます。私は涙ながらにキリンが描きたい、と先生に伝えました。先生は優しく「じゃあキリンを描いてみよう」と言ってくれて、無事、私はキリンの絵を描くことができました。

 

 

 

あれから20年近く経ち、キリンに何の執着も抱かなくなりましたが、根本的なところはあまり変わっていないなと思います。

 

目立つのが嫌でみんなに合わせようとするも、上手くいかないところ。だからと言って我が道を行く度胸も無いところ。誰かにサポートしてもらったり、安全を確認したりした上で、恐る恐る一歩を踏み出すところ。

 

もしかしたら、牛やライオンを描いていた子たちの中にも、犬やウサギや鳥など、違う動物を描きたい子がいたかもしれません。その子たちと比べると、私は”泣く”という行為によって大好きなキリンを描く権利を手に入れた、運の良い子どもだったとも言えます。そして、もしその先生が泣き喚く私を見て「なんで何も描いていないの!」と怒鳴るような人だったら、違う結果になっていたはずです。

 

あの時、牛とライオンを描くことを最後まで拒絶した自分を誇りに思うし、キリンを描くことを促してくれた先生のような、優しさを持つ人間になりたいなと思います。